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秋田地方裁判所 昭和52年(ワ)266号 判決 1982年10月18日

原告

押切憲一郎

右訴訟代理人弁護士

金野和子

塩沢忠和

被告

株式会社東北機械製作所

右代表者代表取締役

鈴木達也

右訴訟代理人弁護士

渡辺隆

主文

一  被告は、原告に対し、金一九〇万九九五八円及び内金一七〇万九九五八円に対する昭和五二年八月一一日から右支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金五二九万一三二五円及びこれに対する昭和五二年八月一一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告は、各種鉱山機械、建設機械、化学機械、荷役運搬機械、その他各種産業用及び一般用機械機器並びにその部分品等の製造、据付、修理及び販売等を目的とする会社である。

(二) 原告は、昭和二六年一二月二四日、被告に木型工として雇用され、以後昭和五〇年三月二〇日定年退職するまで、一貫して秋田市川尻若葉町所在の新川工場において木型・金型の製作、修理及び塗装の作業に従事してきた者である。

2  作業内容

(一) 木型の塗装は、当初ラックニスにメチルアルコールを加えたものを使用していたが、昭和三二年七月頃からメラミン樹脂塗料に溶剤としてトルエンを六〇から七〇パーセント含有するシンナー(「メラニンNo.51シンナー」ともいう。)を加えたものを使用し、これをかがんだ姿勢で刷毛で手塗りするものであって、右作業中の塗装面と顔との距離は三〇センチメートル位であった。

(二) これに対し金型の塗装は、ロイ塗料に溶剤としてメチルエチルケトンを九七パーセント含有するケトン液を加えたものを使用し、同じく手塗りするものである。

(三) 他方木型の修理は、当初木材ややわらかい金属を使用して磨耗・欠損した部分を埋めていたが、昭和三五年頃からはPR剤(ポリエステル樹脂、滑石粉末、炭酸カルシウムの混合剤)に硬化促進剤として「H1」と呼ばれるジメチルアニーソン五〇パーセント溶液及び同じく「H2」と呼ばれる過酸化ベンゾイル一〇〇パーセント溶液をそれぞれ加えて塗り硬化させ、硬化後ヤスリで研磨し、更にシンナーを塗って仕上げるものであり、手についたPR剤をふき取るためにもシンナーを使用していた。

3  作業環境及び作業時間

(一) メラミン樹脂塗料の溶剤としてシンナーを使い始めた昭和三二年七月頃から昭和四五年頃までの作業場は、四〇・五平方メートル(四・五メートル×九メートル)の狭い処であって換気扇もなく、原告は有機ガス用防毒マスクも使用せず、しかも被告指定の塗装業者から「塗装するとき風に当てると乾燥が早すぎ塗装がむらになる」と指導され、夏でも窓を締め切った状態で毎日作業した。

(二) 加えて、昭和三五年頃から木型修理に使用したPR剤及びその溶剤としてのシンナーの取扱作業も毎日継続された。

(三) 原告は、昭和三七年頃職場安全会議において、被告に対し、有機ガス用防毒マスクの支給及び換気扇の設置を要求したが、被告はこれを聞き入れず右要求は実現しなかった。

(四) 更に、昭和三九年頃から仕事が増え、毎日残業、日曜出勤という労働強化が始まり、特に昭和四六年末から昭和四八年四月頃までの間は、原告の木型修理・塗装作業は多忙をきわめ、一日通しの作業の外、連日二時間ないし四時間の残業があった。

4  原告の疾病経過

原告は、昭和三二年七月頃から昭和五〇年三月までの約一七年半に亘り、毒性有機溶剤であるトルエン(労働安全衛生法施行令、別表第八の二の29)、メチルエチルケトン(同34)、及びメタノール(同32)にさらされた結果、次のとおり発病するに至った。

(一) シンナーを使用するようになった昭和三二年七月頃からすでに胸がむかつく症状があったが、昭和三五年秋頃からは空腹時に胃がむかついて吐気が続くようになり、昭和三六年四月頃には立ちくらみ、目まい、頭痛、体が沈むような感じの貧血症状が出て来た。そして同年四月一七日作業中急に激しい腹痛があり、茶褐色の血便が下り、翌一八日市立秋田総合病院(以下「市立病院」という)で診察を受けたところ、十二指腸潰瘍と診断され、同日から約二か月間入院した。この時汗が肌着に緑色につき、湿疹が出たりして特別な異常が目にみえて出て来た。

(二) 昭和四二年頃からは両下肢に発疹が出てかゆくなり、更に昭和四三年春頃から再び空腹時の吐気がひどくなったため小泉病院で受診したところ、十二指腸潰瘍及び胃潰瘍と診断され、その後約三年間出勤しながら通院した。

(三) 昭和四七年九月頃、左大腿部が突っ張り歩行困難となり市立病院に通院したほか、同年一一月頃からシンナーの匂いが甘く感じられるようになり、週に一回位鼻血や歯ぐきから出血して血痰が出て来た。その後毎日朝か晩に出血し、昭和四八年五月頃からは鼻血の色が茶褐色となった。

(四) 昭和四八年五月一九日午後五時頃有機溶剤を用いて作業中、ふるえと悪寒の症状がでたので、再び市立病院で受診したところ、急性気管支炎及び胃潰瘍と診断されたが、高熱が続き、また従来から続いていた耳鳴り、右胸右手首の脈搏痛、血痰の症状がひどく、同日から同年八月九日まで入院したのち、同月二四日から職場に復帰し、従前と同じ仕事に従事した。この間、昭和四八年七月中旬頃市立病院第三内科では、原告の右の各症状を、シンナーによる中毒と診断した。原告がその旨被告に報告したところ、被告は再検査を依頼し、そのため同病院で再検査が続行された。原告は、翌昭和四九年五月一三日まで被告会社に勤務しながら同病院に通院したが、右検査結果を知らされなかった。

(五) しかし、その間も症状は改善されず、血痰等が益々激しくなったため、原告は、昭和四九年三月二三日、中通病院中谷敏太郎医師の診察を受け検査した結果、同年五月七日、同医師から有機溶剤中毒症と診断された。そして、同月一八日から同病院に通院し、同年九月二五日から昭和五〇年一月五日まで入院した。

(六) 原告は、現在なお頭重、耳鳴り、胸痛、聴力低下、臭覚異常、記憶力・計算力低下、血痰喀出等の症状に悩まされ、週一回中通病院に通院加療し、就労不可能な状態にある。

5  被告の責任

使用者は、労働安全衛生法六四条、改正前有機溶剤中毒予防規則(昭和四七年労働省令第三六号、なお昭和五〇年一〇月にも改正されたが本件の争点はそれ以前のことであるから以下単に「予防規則」という)六条、一九条、二九条、三三条、旧予防規則(昭和四七年一〇月一日以前のものをいう)六条、二〇条、二六条、二九条等により、雇用契約上の義務として、その使用する労働者が就業により生命及び健康を損うことのないようその安全を保護し、衛生上必要な措置を講ずる義務を負う。従って、被告は、原告のように、トルエン、メチルエチルケトン及びメタノールという人体に有害な有機溶剤を用いる作業場で働く労働者に対し、有機溶剤中毒症の発生ないしその増悪を未然に防止するため、密閉又は局所排出装置等の設備を設けて、有機溶剤蒸気の発生の防止又は排出もしくは飛散の抑制をし、また有機ガス用防毒マスク等の保護具を支給するなどの措置を講じたうえ、定期的な特殊健康診断を実施して、中毒症の早期発見に努める義務を負う。

しかるに、被告は、昭和三七年頃原告が換気扇の設置や有機ガス用防毒マスクの支給を求めたにもかかわらず、これを無視し、必要な措置を講ぜず、前記雇用契約上の義務を怠ったため、原告に対し、前記疾病を発生せしめたものである。従って、被告は、雇用契約に基づく債務不履行責任として前記疾病により原告が被った損害を賠償する義務がある。

6  原告の損害

(一) 休業損害 金一三〇万三八三円

(1) 昭和三六年四月一八日から二か月間の入院による休業損害金五万二七五八円

原告は昭和三七年七月から同年一二月まで、一か月平均二万六三七九円の給与(残業手当を含む)を得ていたが、これより約一年前の入院期間中の休業損害については、右の額を基礎とするのが相当である。そうすると、右入院期間中の休業損害は、二万六三七九円の二か月分である五万二七五八円となる。

(2) 昭和四八年五月一九日から同年八月九日まで八三日間入院したことによる休業損害金一六万一八八〇円

右入院期間中の休業により昭和四八年の年末一時金が休業していなければ、本来受けたであろうそれより七万八九〇円下回った。

また昭和四九年四月から昭和五〇年三月までの基本給昇給が月額一二一〇円減額され、これに伴い年間給与、昭和四九年の夏期及び年末一時金並びに退職金について右休業がなかった場合に比較し、次のとおり減額された。

(イ) 年間給与 一万四五二〇円

(ロ) 夏期及び年末一時金 七四八〇円

(ハ) 退職金 一二一〇円

合計 二万三二一〇円

更にこの間は私傷病あつかいされ、健康保険より傷病手当として給与の六割が支給され、また被告における共済制度により休業期間の「基準内賃金」から右傷病手当を差し引いた残りの四割が支給されたが、右賃金には残業手当が含まれていない。そこで、残業手当分が損害となるところ、右入院前三か月間の残業時間は次のとおりである。

昭和四八年二月 五一時間

同年三月 四三時間

同年四月 三七時間

一か月平均四四時間

ところで、昭和四八年五月当時の基本給は九万二六五〇円であり、残業については時間給にして一・二五パーセントの割増があるから、前記休業期間中に得たであろう残業手当分を算定すると、次のとおり六万七七八〇円となる。

<省略>

(3) 昭和五〇年三月二〇日に被告会社を定年退職してから症状固定となる昭和五三年四月一五日までの休業損害金一〇八万五七四五円

原告は、少なくとも症状が固定するまでは引き続き被告会社に在職させて欲しい旨被告に申し入れたところ、被告はこれを聞き入れず、昭和五〇年三月二〇日定年退職させられた。そして右退職後症状が固定するまでの間、原告は、労災保険から休業補償給付及び休業特別支給金として一日につき給付基礎日額四一一四円の八〇パーセントに相当する額の支給を受けたが、残りの二〇パーセントについて支給を受けていない。そうすると、右二〇パーセント分が損害となる。

ところで、原告に対する労災保険の休業補償日額は、昭和五二年四月一日から一五二パーセントのスライド率が適用されているので、右年月日の前後における原告の損害額は次のとおりである。

(イ) 昭和五〇年三月二一日~昭和五二年三月三一日 金六一万五一七円

4,114円×742日×0.2=610,517円

(ロ) 昭和五二年四月一日~昭和五三年四月一五日 金四七万五二二八円

4,114円×1.52(スライド率)=6,253円

6,253円×380日×0.2=475,228円

(イ)(ロ)合計一〇八万五七四五円

(二) 後遺症による逸失利益 金九万六七〇八円

原告の症状は昭和五三年四月一五日固定したが、労働者災害補償保険法に基づく障害等級一四級の後遺症を残し、その労働能力喪失率は一〇〇分の五である。原告は、右固定時六〇才であるから六七才までの七年間就労可能である。

そこで、右後遺症による逸失利益を算出すると、次のとおり金五八万五七六三円となる。

6,253円×365日×0.05×5.133(ホフマン係数)≒585,763円

ところで原告は、右後遺症に関し、労災保険より障害補償一時金及び障害特別支給金として合計四八万九〇五五円を受領しているので、損益相殺としてこれを差し引くと結局前記逸失利益の額は九万六七〇八円となる。

(三) 慰謝料 金三三九万四二三四円

原告は、被告の無責任な職場管理により有機溶剤中毒症に悩まされ、入・退院及び通院をくり返したうえ、原告の訴えにも拘らず私病あつかいの不利益を受けた。更に後遺症のため一生苦しまなければならない等これら精神的苦痛に対する慰謝料の額は三三九万四二三四円が相当である。

(四) 弁護士費用 金五〇万円

原告は、本件訴訟を弁護士である本件訴訟代理人らに依頼し、費用として一〇万円を支払ったうえ、成功報酬を認容額の一割と約した。

7  よって、原告は、被告に対し、雇用契約の債務不履行に基づく損害賠償として金五二九万一三二五円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五二年八月一一日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)の事実は認める。同1(二)の事実のうち、原告が木型、金型の製作に従事してきたことは否認する。木型、金型の製作は全部外部に注文していた。その余の事実は認める。但し、原告の仕事は主として木型の修理が主たるものであった。

2  同2(一)、(二)の事実は認める。同2(三)の事実のうち、木型の修理がシンナーを塗って仕上げること、及び手についたPR剤のふき取りにシンナーを使っていたことは否認し、その余の事実は認める。木型の修理はシンナーでなくメラミン樹脂を塗って仕上げるものであり、また手についたPR剤は乾燥して自然にはがれる。

3  同3(一)の事実のうち、被告指定の塗装業者から「塗装時風に当てると乾燥が早すぎむらになる」と指導されたこと、夏でも窓を締め切った状態で毎日作業していたことは否認し、その余の事実は認める。作業場の窓は常にあけて作業していた。同3(二)の事実のうち、PR剤の溶剤としてシンナーを取り扱うことは否認し、その余の事実は認める。PR剤の溶剤は特にない。同3(三)の事実は否認する。同3(四)の事実のうち、昭和三九年頃から仕事が増えてきたことは認め、その余の事実は否認する。原告は自ら積極的に残業することを希望していたもので、被告が原告に残業を強要したことはない。昭和四七年三月以降定年退職までの原告の毎月の稼働日数、残業時間等は別紙(略)(一)のとおりである。

4  同4冒頭主張の事実は否認する。同4(一)の事実のうち、昭和三六年四月一八日から約二か月間原告が十二指腸潰瘍で市立病院に入院したことは認め、その余の事実は知らない。同4(二)の事実のうち、昭和四二年頃からは両下肢に発疹が出て来てかゆくなり、更に昭和四三年春頃から再び空腹時の吐気がひどくなったことは知らない。その余の事実は認める。同4(三)の事実は知らない。同4(四)の事実のうち、原告が急性気管支炎及び胃潰瘍のため昭和四八年五月二一日から同年八月九日まで入院し、同月二四日から出勤し、同じ仕事に従事したこと、及び翌四九年五月一三日まで勤務しながら市立病院に通院したことは認め、昭和四八年七月中旬頃原告が市立病院第三内科でシンナー中毒と診断されたこと、被告に報告したところ、被告が再検査を依頼したことは否認する。その余の事実は知らない。同4(五)の事実のうち、原告の症状が改善されず、血痰等が益々激しくなったことは知らない。その余の事実は認める。同4(六)の事実のうち、原告が現在なお就労不可能な状態にあることは否認し、その余の事実は知らない。原告は自ら主張しているように昭和五〇年一月五日中通病院を退院後同年三月二〇日定年退職するまで被告に出勤して健康時と全く変わりなく作業に従事していたもので、現在就労不能の状態にあるということはありえない。

5  同5の主張は争う。

6  同6の事実のうち、(一)の(2)の事実中、昭和四九年四月から昭和五〇年三月までの基本給昇給が月額一二一〇円減額され、これに伴い年間給与が一万四五二〇円減額されたことは認め、その余の事実は争う。

すなわち、

(一) 昭和三六年四月一八日から約二か月の入院については賃金やボーナスのカットによる原告の逸失利益はなく、その後の昇給についても原告は全く不利益を受けていない。

(二) 昭和四八年五月二一日から八三日間の入院についても賃金やボーナスのカットによる原告の逸失利益はなく、また昭和四八年中に昇給やベースアップ等の面で原告が不利益を受けたこともない。ただし、昭和四九年四月の昇給の時点で原告は右入院による欠勤がなかった場合に比し、ボーナス分として、昭和四九年七月分については三二〇〇円、同年一二月分については三五三〇円の計六七三〇円その昇給がなされていない。

(三) 仮に被告の本件作業場における有機溶剤の使用が原告の症状に影響をもたらしたとしても、それは極めて軽微なものであり、また病気欠勤による原告の逸失利益も微々たるものであるから、原告がすでに受領した労災保険の給付金によりその損害は十分填補されている。

(四) 仮に(三)の主張に理由がないとしても、高度成長時代の終息した昭和五〇年以降においては、定年退職後は再就職が極めて困難であり、定年退職後も退職前と同一の収入を得られることを前提としている原告の本訴請求は不当である。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1(一)の事実、同1(二)の事実のうち、原告が昭和二六年一二月二四日被告に木型工として雇用され、以後昭和五〇年三月二〇日定年退職するまで、秋田市川尻若葉町所在の新川工場において一貫して木型・金型の修理及び塗装作業に従事してきたこと、同2(一)、(二)の事実、同2(三)の事実のうち、木型の修理が当初木材ややわらかい金属を使用して磨耗・欠損した部分を埋めていたが、昭和三五年頃からPR剤(ポリエステル樹脂、滑石粉末、炭酸カルシウムの混合剤)に硬化促進剤として「H1」と呼ばれるジメチルアニーソン五〇パーセント溶液、同じく「H2」と呼ばれる過酸化ベンゾイル一〇〇パーセント溶液を加えて塗り硬化させ、硬化後ヤスリで研磨していたこと、同3(一)の事実のうち、メラミン樹脂塗料の溶剤としてシンナーを使い始めた昭和三二年七月頃から昭和四五年頃までの作業場が約四〇・五平方メートル(四・五メートル×九メートル)の狭い処で換気扇もなかったこと、原告が右作業場で有機ガス用防毒マスクを使用せず作業したこと、同3(二)の事実のうち、昭和三五年頃から木型修理に使用したPR剤の取扱作業が毎日継続されたこと、同3(四)の事実のうち、昭和三九年頃から前記新川工場の仕事量が増えたこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  作業内容、作業環境及び作業時間等

前記当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告は、被告に木型工として採用された昭和二六年一二月二四日から被告の新川工場において主として各種機械の歯車等の鋳造用木型(主に直径三〇から七〇センチメートルの丸型のもの)の修理及びその塗装作業に従事してきた。そして昭和四〇年頃木型の修理と塗装とが分業となり、原告は修理作業を担当することになったが、修理に比べ塗装の方が仕事量が多く、そのため結局塗装作業にも引き続いて従事することになった。

2  木型の塗装は、木型の磨耗・変形の防止と防湿、造型時の砂離れをよくするために行うもので、塗料として当初ラックニスにメチルアルコールを加えたものを使用していたが、昭和三二年七月頃からメラミン樹脂塗料に溶剤としてトルエンを六〇から七〇パーセント含有する合成樹脂用ニッサンシンナー(メラニンNo.51シンナーともいう)を加えたもの―本剤一〇〇に対し右シンナーを五〇前後の割合で混合したもの―を使用するようになった。右塗装作業は、作業場の土間に木型を並べ、そのわきに塗料五〇〇グラム位入った小罐を置いて、これをかがんだ姿勢で刷毛で手塗りするもので、新しい木型の場合には、最初一回塗り、三〇分から四時間位自然乾燥させてからペーパーヤスリをかけて表面をなめらかにし、その後二回連続して塗って仕上げるが、右塗装作業の際、塗装面と顔との距離は三〇センチメートル位であった。

3  金型の塗装は、ロイ塗料に溶剤としてメチルエチルケトンを九七パーセント含有するケトン液をほぼ半分加えたものを使用し、同じく手塗りしていたが、刺激が強く、被告は昭和四九年一〇月に右塗料の使用を中止した。

4  これに対し、木型の修理は、当初木材ややわらかい金属を使用して磨耗又は欠損した部分を埋めていたが、昭和三五年頃からPR剤(ポリエステル樹脂、滑石粉末、炭酸カルシウムの混合剤)に促進剤として「H1」と呼ばれるジメチルアニーソン五〇パーセント溶液、硬化剤として「H2」と呼ばれる過酸化ベンゾイル一〇〇パーセント溶液を加えたもの―本剤一〇〇に対し「H1」を一、「H2」を一から一・五の割合で混合したもの―を鋳物こてでねり、磨耗・欠損した部分に塗って硬化させ、硬化後ヤスリで研磨し、更に前記シンナーを混合したメラミン樹脂塗料を塗装の場合と同様の態様で塗って仕上げるものである。そして、手についたPR剤をふきとるためシンナーを使用した。

5  メラミン樹脂塗料の溶剤としてシンナーを使い始めた昭和三二年七月頃から昭和四五年頃までの作業場の面積は四〇・五平方メートル(四・五メートル×九メートル)で換気扇の設備もなかった。そして、塗装作業時に風に当てると乾燥が早くむらが生じるとされ、夏でも窓を締め切った状態(その状況のときは、直接外気に向って開放している部分はなく、後述のとおり旧予防規則にいう通風が不十分な屋内作業場に該当する。)で塗装していたうえ、木型工である原告に有機ガス用防毒マスクが支給されたのは昭和四六年頃からであった。昭和四五年頃現在の作業場となり、その面積は約一四五・八平方メートル(五・四メートル×二七メートル)で、塗装作業場の中央部二〇平方メートルの場所で塗装と修理作業が行われるようになった。そして右作業場には直接外気に向って開放し得る窓・出入口(三〇平方メートル以上)も設置された。更に作業場の改善は進み、昭和四八年一一月頃換気扇四個が設置されたほか、木型作業場にもシンナーの臭いがたまるという苦情があったので、その効果はかならずしも十分とはいえないが、塗装作業場と木型作業場との間にビニールカーテンの仕切が設けられるなどの改善がなされた。このようにして、新しい作業場は、旧作業場と異なり、通風が不十分な作業場ではなくなった。

6  塗装作業はシンナーを使い始めた昭和三二年七月頃には一日平均二時間位あり、塗料の一日の使用量は五〇〇グラム位であった。PR剤を使用した木型修理作業は昭和三五、六年頃には一日平均三時間位あり、PR剤一キログラムを四、五日で消費した。昭和四六年末頃から昭和四七年六月頃までは軌道輪木型の修理が多く、PR剤一キログラムを一日で消費することもあり、それにともないシンナーの使用量も増えることになった。そして、それが被告の強制によるかどうかはさておき、一日作業のほか二時間から四時間の残業があったが、原告は他の木型工に比べ残業時間が多かった。その後昭和四八年夏頃から仕事の受註量が減り、塗装作業は一日一時間位となり、原告は有機溶剤中毒症と診断されたため、昭和五〇年一月頃から塗装作業には殆んど従事せず、もっぱら修理作業に従事し、その作業時間は一日平均三時間位であった。

以上のとおりであり、右認定に反する(人証略)は採用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  作業場における有機溶剤の濃度

(証拠略)によれば次の事実が認められる。

1  被告は昭和四九年八月二三日から昭和五一年四月三日までの間のべ二一日にわたり本件作業場における有機溶剤(トルエン)の気中濃度を測定しているが、右測定の結果作業場の床上五八センチメートルの地点における気中濃度の数値が一〇PPM以上であったのは別紙(二)のとおりである。また同様にして労働基準監督署職員が昭和五〇年三月一七日実施したトルエンの気中濃度の測定結果では、床上四〇センチメートル(手塗り作業者の鼻先)では八〇PPM、塗料の入った小罐の二〇センチメートル上部では一二六PPMの数値であった。

2  本件作業場におけるメラミン樹脂塗料及びシンナーの使用量等については、昭和五〇年四月から昭和五一年三月までの間において右塗料の使用量が三万八七九五グラムであるのに対し、シンナーの使用量は二万七〇五五グラムであって、シンナーの一日平均使用量は一三五グラムである。またそれ以前のシンナーの使用量は、昭和四九年が五万五四八八グラム、昭和四八年九月から同年一二月までの間において二万一六八九グラムであった。さらに被告のシンナーの年間購入量は、昭和五〇年が五罐(一六リットル入り)であるのに対し、昭和四九年が七罐、昭和四八年が一一罐、昭和四七年には一六罐である。

右認定事実に前記二で認定した事実を総合すると、仕事の受註量が減った昭和四九年でさえ、シンナーの一日平均使用量が使用日数を三六五日としても一五二グラムであるから、右以前における一日平均使用量は少なくとも一五二グラムを下回らなかったものと推認されるうえ、昭和四五年以前の旧作業場における有機溶剤の気中濃度の数値は不明であるものの、右作業場は約四〇・五平方メートルと前記濃度を測定した作業場と比較して狭いうえ、換気扇等の有機溶剤の蒸気を希釈する設備がなく、夏でも窓を締め切った状態で塗装等の作業が行われていたのであるから、塗装作業の際にはかなりの濃度の有機溶剤(トルエン)の蒸気が発生していたものと推認される。そして右のとおりのシンナー使用量及び作業場の作業環境に加え、原告を含む木型工に対し、昭和四六年頃まで有機ガス用防毒マスクが支給されなかったことを合わせ考慮すると、原告は塗装作業において少なからざる量のトルエン蒸気にさらされ、これを吸引していたものと推認できる。

四  原告の疾病経過

1  請求原因4(一)の事実のうち、原告が昭和三六年四月一八日から約二か月間十二指腸潰瘍で市立病院に入院したこと、同4(二)の事実のうち、原告が昭和四三年小泉病院で受診したところ、十二指腸潰瘍及び胃潰瘍と診断され、その後約三年間出勤しながら通院したこと、同4(四)の事実のうち、原告が急性気管支炎及び胃潰瘍のため遅くとも昭和四八年五月二一日から同年八月九日まで市立病院に入院し、同月二四日から出勤し同じ仕事に従事したこと、そして翌昭和四九年五月一三日まで勤務しながら市立病院に通院したこと、同4(五)の事実のうち、原告の症状が改善されず、血痰等が益々激しくなったことを除くその余の事実はいずれも当事者間に争いがない。

2  右当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、原告の症状等について次の事実が認められる。

(一)  原告にはシンナーを使用するようになった昭和三二年頃から胸がむかつく症状があり、昭和三五年秋頃から空腹時に胃がむかついて吐気が続くようになり、翌昭和三六年四月頃には、立ちくらみ、目まい、頭痛、体が沈むような感じの貧血症状が出てきた。そして、同年四月一七日作業中急に激しい腹痛があり茶褐色の血便が下り、翌一八日市立病院で診察を受けたところ、十二指腸潰瘍と診断され、同日から約二か月間入院し、退院後も一年位通院した。

(二)  昭和四二年頃から両下肢に発疹が出てきてかゆくなり、昭和四三年春頃から再び空腹時に吐気がしたので小泉病院で受診したところ、十二指腸潰瘍及び胃潰瘍と診断され、その後約三年間出勤しながら通院した。

(三)  昭和四七年一一月頃から部屋の空気がにごると呼吸が苦しくなったり、またシンナーの匂いを甘く感じるようになり、週に一回位鼻血や血痰が出るようになった。

(四)  昭和四八年五月一九日午後五後頃作業中、ふるえ、悪寒がきて、市立病院で受診したところ、急性気管支炎と診断された。そして胃潰瘍の疑いもあったので入院を指示され、同日から入院し、入院中胃潰瘍と診断され、同年八月九日まで入院した後、同月二四日から職場に復帰し、同じ仕事に従事しながら、昭和四九年五月一三日まで通院した。

ところで、右入院の間従前から続いていた耳鳴り、右胸右手首の脈搏痛、血痰などの症状があらわれたが、耳鳴りについて担当した医師は高血圧によるものではないかとの見方をし、右胸部痛については肋間神経痛と診断されたが、血痰については、担当した医師はその原因は不明であるが、気管支炎あるいは肺炎によるものではないかとみる一方、耳鼻科における検査結果では、下歯の右奥臼歯に歯の残根があり、肉芽があってそこから出血しているものとされた。また右耳鼻科において内耳性難聴と診断され、診察した医師はその原因を外傷性のものと判断した。このように、血痰の原因は医学上十分解明されなかったが、なかには原告がシンナーを一〇数年使用しているので、今後吸引しないよう注意する必要がある旨の所見報告をした医師がいたものの、原告の血痰の原因がシンナーによるものであるとの明確な診断はなされなかった。

(五)  しかし、その後も鼻血や血痰などの症状はよくならず、原告は知人の紹介で昭和四九年三月二三日中通病院で中谷敏太郎医師の診察を受けた。右中谷医師は、原告には主訴及び自覚症として、血痰、心悸亢進、窒息感、耳鳴り、難聴、臭覚異常及び無臭、左下肢脱力感、左前胸壁及び右下腹部の熱感及び異常知覚、頭痛、不眠、一過性失神感、めまい、全身倦怠感、上腹部痛、食欲不振、慢性皮膚発疹があり、臨床所見として、胃のエックス線及び内視鏡像で幽門部近位に二つの潰瘍及び球部変形が認められ、神経学的所見として、臭覚の著明な低下、聴力の低下(感音性難聴、高音急墜型)、手指振せん、頭部のミオクローヌス様不随意運動、計算力の低下、健忘、二〇マイクロボルト以下の低電位アルファー波の存在、両側手指の軽度の知覚低下(手袋型)が認められ、また筋電図上右上腕三頭筋、左右の撓側母指伸筋、左右の上体四頭筋、左右の前頭骨筋、右腓腸筋に多相性高振幅性神経筋単位が認められ、運動神経伝導速度が四七・五m\secで遅延していること、更に、下肢、腹部、背部に有痒性、落屑性、角化性の慢性皮膚発疹が認められるとし、以上の結果を総合して、(1)鼻、咽頭部出血、血性痰、時に喀血があり、これは気道粘膜出血であること、(2)臭覚異常、聴力低下、精神機能の低下、脳波異常所見は脳神経障害を示していること、(3)知覚低下、筋電図所見、伝導速度遅延は末梢神経障害の存在を示していること、(4)慢性皮膚炎が存在すること、(5)消化器障害、特に十二指腸潰瘍が存在すること、(6)自覚症は有機溶剤中毒(時には急性期愁訴)に特徴的なものであること、(7)以上の所見及び自覚症は有機溶剤環境で労働して以来発生したものであること、(8)作業からの離脱により軽快傾向を示すこと、(9)他に上記自覚症及び臨床所見の原因となるような事項が存在しないこと、以上の点を理由にあげて、同年五月七日原告を有機溶剤中毒症であると診断した。

(六)  ところで、本件作業場における原告と同種の作業労働者の症状についてみると、昭和四一年一一月から塗装作業に従事した能登谷哲郎は昭和四九年五月頃胃潰瘍と診断されその治療を受け、また同年九月頃健康診断の際臭覚異常と診断され、約二か月間治療を続けている。昭和三二年四月一日入社以来塗装作業に従事している田口稔は、昭和四三年頃十二指腸潰瘍で約一か月半入院治療を受けている。昭和四四年九月から塗装及び修理作業に従事している佐藤弘は、昭和四五年七月頃から胃潰瘍のため二か月間入院治療を受け、また昭和四七年一一月頃から胃潰瘍及び十二指腸潰瘍のため約三か月間入院し、さらに昭和四九年一〇月頃慢性胃炎の診断を受け、現在も胸やけ、腹痛の症状がある。昭和四七年頃から塗装作業に従事している船木駒次郎は、昭和五〇年八月頃から胃潰瘍のため服薬している。

3  ところで、(証拠略)によれば、秋田労働者災害補償保険審査官は、原告の審査請求について、昭和五一年七月二二日、原告がベンゼンの同族体であるトルエンに約一七年六か月にわたり、くり返しさらされる業務に従事していたものであり、この業務の就労後に頭重、めまい、不眠、もの忘れ、嘔吐、胃痛、窒息感の自覚症に加えて両側手指の知覚異常、血痰、鼻出血、臭覚異常、聴力低下の症状を呈し、トルエン等有機溶剤以外の原因により発病したものではないと考えられるので、原告の疾病を労働基準法施行規則三五条二七号に掲げる「ベンゼンまたはその同族体」の中毒によるものと判断したが、胃潰瘍及び十二指腸潰瘍については有機溶剤に起因して発病したものとは認めがたいとして、その業務起因性を否定したことが認められる。

4  そこで、原告の本件疾病が有機溶剤中毒によるものであるか否かについて判断する。

(一)  成立に争いのない(証拠略)(日本医師会雑誌八〇巻一二号)によれば、慶応義塾大学医学部桜井治彦助教授は、「有機溶剤の理化学的要因」と題する講演論文において、有機溶剤による生体影響として、トルエンは神経障害である中枢機能の低下、及び随伴障害として末梢神経障害を起す旨の報告をしていることが認められる。そして、(人証略)によれば、原告の症状のなかにも右の障害がみられ、そのうち、中枢機能の低下として計算力の低下を、末梢神経障害として手袋型の知覚低下、右上腕三頭筋、左右の撓側母指伸筋、左右の上体四頭筋等に筋電図上多相性高振幅性神経筋単位が存在すること、運動神経伝導速度(MCV)の遅延及び聴力の低下を掲げることができること、また血痰・鼻血については、原告の肺及び気管支並びに造血機能にも異常が認められず、トルエンによる粘膜の刺激作用によるものと認められる。

ところで、胃及び十二指腸潰瘍について、前記証人中谷医師は、中通病院における内視鏡による検査では原告の十二指腸に新しい潰瘍があったが、胃及び十二指腸に潰瘍の瘢痕がみられないところから、どちらかといえば急性潰瘍と認めるのが相当であり、有機溶剤には自律神経に対する障害も認められるので、その障害により胃に行く迷走神経の緊張状態が生じ、胃液の分泌が異常に高まり、胃及び十二指腸潰瘍が発症するという病因論を述べている。

もっとも、中谷医師によれば有機溶剤にさらされかつそれを吸引することにより胃潰瘍が発症したことを報告あるいは指摘した臨床上の文献はない。しかし、成立に争いのない(証拠略)によれば、労働基準法施行規則第三五条第二七号に掲げる「ベンゼン又はその同族体」に因る中毒及び第二八号に掲げる「アセトン又はその他の溶剤」に因る中毒の業務上外の認定基準の解説において、有機溶剤中毒の場合、自律神経系の障害の徴候として自覚症状の把握が重要であるとの指摘がすでになされていることが認められるうえ、旧予防規則及び予防規則二九条二項所定の健康診断の項目として、胃の症状等消化器系障害の有無の検査が掲げられていたことなどをも合わせ考慮すると、前記中谷医師の見解は合理性があり納得しうるものであるというべきである。

(二)  次に、(証拠略)の業務上の認定基準についてみると、常時又は持続的な自覚症状として、頭痛、めまい、不眠、倦怠感、心悸亢進、食欲不振、胃痛、腹痛が、神経、筋、感覚器症状として、四肢の知覚障害、運動障害、脳神経障害、中枢神経障害が、精神障害として健忘が、血液所見として、鼻出血、歯肉出血などの粘膜における出血傾向がそれぞれ掲げられている。また、前記桜井論文においても、有機溶剤による神経系に関連した症状として、頭痛、めまい、消化器症状、不眠、記憶力減退、耳鳴り・難聴、振せん等が指摘されている。これを本件についてみると、これらの症状はいずれも原告の本件自覚及び他覚症状と一致しているのであり、これを予防規則二九条二項所定の健康診断の項目についてみても、頭痛、めまい、心悸亢進、不眠、四肢倦怠感、食欲不振、腹痛、四肢の知覚異常など同様の神経・精神症状を示している。

(三)  さらに、成立の争いのない(証拠略)によれば、秋田労働者災害補償保険審査官から原告の症状の鑑定を依頼された秋田労災病院内科部長野々村是哉医師は、その意見書において、原告の自覚症状及び他覚所見中、頭痛、不眠、めまい、計算力の低下、健忘、両側手指の軽度の知覚低下、筋電図にみられる多相性高振幅性神経筋単位(NMU)はトルエンによる中枢神経及び末梢神経の障害と推定されるとの報告をしていることが認められる。

(四)  ところで、前記のとおり原告には下肢、腹部及び背部に有痒性の慢性皮膚発疹の症状があるが、前記野々村医師は、その発生部位から有機溶剤によるものとは考え難いとしており、中谷医師の証言によれば、中谷医師は原告の右皮膚発疹は本件作業場で使用しているPR剤によるものではないかと考えているが、皮膚疾患については専門外であるうえ、専門医に依頼して診断した結果その原因は不明であったことが認められる。

右の事実によれば、原告の皮膚発疹の症状が本件作業場で使用している有機溶剤・PR剤によるものとは認め難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

5  右認定の事実並びに前記四の2の認定事実、とりわけ、本件作業場の職場環境は、昭和四五年頃一応改善されたものの、旧作業場においては劣悪であったこと、原告は、塗装作業に際し、ホースマスク等の保護具を支給されなかったため、長期間にわたり少なからざる量のトルエン蒸気にさらされ、これを吸引していたものであること、胃及び十二指腸潰瘍については、それが本件作業場で使用している有機溶剤(トルエン)によって発症したものであるとの確実な自然科学的証明はないけれども、中谷医師が示した見解が一応合理的で納得しうるものであり、本件作業場において塗装作業に従事している労働者のうち、原告以外に四名もの胃又は十二指腸潰瘍患者が発生していること等の事実を総合すると、原告の本件症状のうち、皮膚発疹を除くその他の自覚及び他覚症状は、本件作業場で使用している有機溶剤たるトルエンに起因したものと認定するのが相当である。なお、原告は、本件疾病の原因として、トルエン以外に有機溶剤であるメチルエチルケトン及びメタノールを挙げているが、(証拠略)によれば、溶剤としてメチルエチルケトン九七パーセント含有するケトン液を加えたロイ塗料の使用日数はメラミン樹脂塗料の二〇分の一であることが認められ、その使用量は本件全証拠によるも不明である。またメタノール(メチルアルコール)は昭和三二年以前には使用されていたが、その後これが使用されていることを認めるに足りる証拠はない。従って、原告の右主張は採用できない。

6(一)  もっとも、(証拠略)によれば、市立病院第一内科の安田忠彦医師は、昭和五〇年四月二六日秋田労働基準監督署調査官の聴取に対し、原告の主訴である胃症状、耳鳴り、頭痛、血痰につき、血液、尿等の諸検査の結果、貧血症状等が全く認められないので、有機溶剤中毒の問題はないと判断される旨の意見を述べていることが認められる。そして右安田医師は、証人として、原告が市立病院に入院した翌日の昭和四八年五月二〇日、原告を診察した結果、手指振さく、頭部のミオクローヌス不随意運動はみられず、出血傾向、血液疾患もなく、末梢神経、中枢神経、造血機能の異常はなかった。また筆を使った知覚検査、冷温水、針等による温覚、冷覚、痛覚等の検査をしたが、その結果にも異常は認められなかった旨供述している。

しかし、安田医師は、呼吸器及び循環器系統を専門分野としているうえ、市立病院における原告の診察も、もっぱら医師になって二年目の佐迫医師の教育のため、同医師にまかせていたのみならず、前記検査の結果もカルテ等に記録されていないこと、安田医師自身認めているように有機溶剤中毒の認定基準すら知らなかったことなどの事実、及び前記四の4で認定した事実に照らし、前記安田医師の意見及び供述は採用できない。

(二)  また、成立に争いのない(証拠略)から窺われる秋田大学医学部衛生学教授加美山茂利、同学部第一内科(消化器関係)教授益田久之の各見解は、原告を直接診察したものでないのは勿論、そのカルテすら見ないで、一般的にもしくは文献上の意見として述べられたものに過ぎず、前認定を覆えすに足りるものではない。

五  被告の安全保護義務

1  局所排気装置等の設備の設置

前記二の5で認定したとおり、本件作業場に換気扇四個が設置されたのは昭和四八年一一月頃であり、昭和四五年頃までの旧作業場にも換気扇等の有機溶剤の蒸気を希釈する設備はなかった。

ところで、旧予防規則(昭和三五年労働省令第二四号)六条によれば、使用者は、屋内作業場において第二種有機溶剤含有物に係る有機溶剤業務に労働者を従事させる場合は、当該有機溶剤業務を行う作業場所に、有機溶剤の蒸気の発散源を密閉する設備、局所排出装置又は全体換気装置を設けなければならないとされている。そして、本件作業場における業務は第二種有機溶剤含有物を用いて行う塗装の業務(同規則一条一項三号リ)に該るものと認められるから、昭和四五年頃までの旧作業場は右規制の対象となりうる。

ところで、旧作業場は前記二の5で認定したとおりの環境及び構造を有するから、通風が不十分な屋内作業場と認められるところ、右のような作業場において塗装作業をするさいに、同規則二条一項二号には、前記規定の適用を除外する場合が定められているので、その点につき付言する。

前記三で認定したとおり、旧作業場時代における一日当りのシンナー使用量は一五二グラムを下回らなかったものである。そして旧作業場の気積は旧予防規則二条一項一号記載の表によると約一六二立方メートルであったから、同表下欄に掲げる式により旧作業場における一日当りのシンナーの許容消費量を求めると約一三五グラム(W=5/6×162×1.0)となる。これを右使用量と対比すると旧作業場におけるシンナーの一日当りの使用量はその許容消費量を上回っているのであるから、同規則二条一項二号の適用除外とはならないことは明らかである。

そうすると、被告は、旧作業場に、有機溶剤の蒸気の局所排出装置又は全体換気装置等を設けなければならなかったのに、当時それを怠ったのであるから、旧予防規則六条に違反していたことは明らかである。

もっとも、これを新作業場についてみると、右作業場は前記二の5で認定したとおり通風が不十分な屋内作業場とは認められない。そこで前記同様に新作業場の気積(五八三立方メートル)、作業時間一時間当りのシンナーの許容消費量を計算すると約四八五グラムとなる。そして、前記の昭和四九年以前の一日当りのシンナー使用量(少なくとも一五二グラムを下回らなかった)を考慮すると、一時的な例外等はさておき、結局新作業場については、旧予防規則二条一項一号の適用が除外されたであろうと推認され、結局被告が同規則六条の規定する義務に一般的に違反していたものと認めることはできない。

しかしながら、他方本件のような有機溶剤を用いる作業場で労働者を仕事に従事させる場合、使用者は、たとい予防規則等の法令に具体的な根拠規定がない場合でも、当該作業場の作業環境、作業に伴う危険などの現実的状況に応じて必要な措置をとるべき義務を要請されるものといわなければならない。しかもベンゼン等の有機溶剤の使用量、使用業務が増加するにともない、有機溶剤による中毒が多発し、その予防の徹底を図るため昭和三六年一月旧予防規則が施行され、その監督・指導も強化されていたところであり、使用者側も有機溶剤中毒について充分承知していた筈である。一方昭和四五年ころ以降新作業場になったといっても、それ以前に旧作業場での作業員らはかなりの量の有機溶剤の蒸気に長年月にわたりさらされてきたことは明らかである。また秋田県地方では、冬期は勿論、それ以外の時期も雨天の日が比較的多く、工場等についても、ともすれば建物全体の換気等については看過されがちであろう。以上のような事情も合わせ考えると、被告は、新作業場においても、人体に有害な有機溶剤の蒸気が発生していたのであるから、まずもって、右蒸気の発生を防止し、それを除去する等の措置をとる義務があったというべきである。しかるに被告は右の措置を少なくとも昭和四八年一一月頃までとらなかったのであり、しかもたとえば換気扇を設置するなどのことは容易にできた筈である。被告の右義務違反は明らかである。

2  有機ガス用防毒マスク等保護具の使用

昭和四六年頃木型工である原告に対し、有機ガス用防毒マスクが支給されたことは前記二の5で認定したとおりである。

ところで、旧予防規則二五条及び二六条は、労働者が有機溶剤の蒸気を吸引することを防ぐために必要な保護具であるホースマスク又は有機ガス用防毒マスクについて、これを労働者に使用させるべき使用者の義務を規定している。しかし右保護具を使用させる義務は、被告の場合、前記新・旧作業場(前認定のとおり換気の設備等を設置する義務があった)を通じて、右条文上は認められていない。従って、形式上は、被告には旧予防規則二五条又は二六条の義務違反は認められないというべきである。

もっとも、右のように被告にホースマスク等の保護具を使用させる義務が旧予防規則上認められないとしても、それをもって被告の右義務が否定されるものとは解されない。けだし、旧予防規則は、五条以下で規定しているとおり労働者が有機溶剤の蒸気を吸引することを防止するために換気装置その他の設備を設置して作業環境の改善をはかることを先決とし、右設備との関連において、環境の改善ができない場合又は環境の改善だけでは不十分な場合に、補助的手段として保護具が使用されるべきであるとしているのにとどまり、保護具が作業環境の改善に次いで、有機溶剤の蒸気の吸引による中毒を防止するための有効な手段であることまで否定しているものとは解されないからである。

そうすると、旧作業場時代において、被告は、まずもって換気装置等の設備を設置して作業場の作業環境を改善すべきであったが、前記のとおりこれを怠っていたのであるから、右作業環境の改善にみあう措置として、少なくとも、塗装作業の際、原告を含む右作業の従事者に対し、有機溶剤の蒸気の吸引を防止するため、ホースマスク等の保護具を使用させるべき義務があったというべきである。しかるに、被告は原告に対し、昭和四六年頃までこれの使用を指示しなかったのであるから、右義務違反は明らかである。

3  特殊健康診断の実施

(証拠略)によれば、被告が有機溶剤取扱者を対象としたいわゆる特殊健康診断を実施したのは、昭和四九年二月二〇日からであることが認められる。

ところで、旧予防規則二八条、予防規則二九条二項によれば、本件のような作業場における業務に常時労働者を従事させる場合には、使用者は、雇入れの際、当該業務への配置替えの際及びその後六月以内ごとに一回定期に、医師による特殊健康診断を行わなければならないとされている(但し旧予防規則では診断時期を単に六月以内ごととしている)。これを本件についてみれば、被告は少なくとも旧予防規則が施行された昭和三六年一月一日以降右特殊健康診断を定期的に実施しなければならなかったものである。そして、原告は長期にわたり有機溶剤たるトルエンの蒸気にさらされ、これを吸引して前記のとおり発病するに至ったものであるから、被告が特殊健康診断を所定のとおり実施していれば、原告の体の何らかの異常を早期に発見し、適切な措置をとることによって、発病又は重症化を防ぎ得たかもしれないところである。従って、被告の旧予防規則二八条及び予防規則二九条二項の義務違反は明らかである。

六  被告の責任

被告は、人体に有害な有機溶剤たるトルエンを使用する作業場で原告を含む労働者を使用する者として、雇用契約上労働者の生命及び健康に対する危険から労働者の安全を保護すべき適切な配慮をなす義務を負うものと解すべきである。これを本件についてみると、右安全配慮義務の具体的内容として、被告は、新・旧作業場時代を通じ、有機溶剤の蒸気の発散源を密閉する設備を設けて、有機溶剤の蒸気の発生を極力防止し、あるいは局所排出装置又は全体換気装置を設けて、発生した有機溶剤の蒸気の除去、飛散の抑制をするなどの措置を講じ、まずもって労働者が有害な有機溶剤の蒸気にさらされ、これを吸引しないよう作業場の安全な環境を保持すべきであり、また特殊健康診断を所定のとおり実施し、労働者の身体の異常を的確に把握すべきであり、少なくとも旧作業場時代には、塗装作業の際ホースマスク等の保護具を使用させ、労働者の生命及び健康の安全を図るべき義務があったものというべきである。しかるに、前判示のとおり、旧作業場時代においては、かなりの濃度のトルエン蒸気が発生していたにもかかわらず、その防止や除去・軽減がなされない状態で作業が行われ、また新作業場時代においても、作業場の拡張等一応の改善がなされたものの、右蒸気の発生を防止し、それを除去・軽減するなどの措置をとる余地があるのに、少なくとも昭和四八年一一月頃まで右各措置がとられることなく作業が行われていた。またそうであればなおさらのこと、ホースマスク等の保護具を支給してトルエン蒸気の吸引を防止すべきであるのに、昭和四六年頃に至るまで、原告を含む木型工に有機ガス用防毒マスクを支給せず、更に少なくとも昭和三六年一月一日以降特殊健康診断を所定のとおり実施し、労働者の身体の異常を早期に発見し、有機溶剤による疾病を未然に防止すべきであるのに、昭和四九年二月二〇日まで実施されることがなかったのであるから、被告は、前記雇用契約上の安全配慮義務を懈怠したものといわなければならない。

従って、被告は、原告に対し、雇用契約に基づく債務不履行により原告の被った損害を賠償する義務がある。

七  損害

1  休業損害

(一)  昭和三六年四月一八日から二か月間の入院による休業損害

原告が昭和三六年四月一八日から十二指腸潰瘍で二か月間市立病院に入院したことは前記四の1で認定したとおりであり、(人証略)及び弁論の全趣旨によると、被告は、原告に対し、右入院期間中の賃金を支払っていないことが推認できる。右推認を左右するに足りる証拠はない。

ところで、原告は、右休業損害の算定について、昭和三七年七月から同年一二月までの残業手当を含む給与(基本給二万一〇三〇円)を基準としているが、(証拠略)によれば、原告の基本給は毎年四月に昇給があり、その当時スライド率が二・八五パーセントで、その他に一律一八〇〇円のプラスアルファがあったことが認められる。そうすると、原告の昭和三六年四月当時の基本給は一万八六九〇円程度であったと推認できる。そして、(証拠略)によれば、原告は、昭和三七年七月から一二月まで(一一月を除く)の五か月間において一か月平均五三四九円の残業手当を得ていたことが認められるから、原告が前記入院期間中に得たであろう収入は、一か月につき右残業手当を含む二万四〇三九円とするのが相当である。そうすると、二万四〇三九円の二か月分四万八〇七八円がその間原告の被った休業損害となる。

(二)  昭和四八年五月一九日から同年八月九日まで八三日間入院したことによる休業損害

(1) 右入院による休業により昭和四九年四月から昭和五〇年三月までの原告の基本給昇給が月額一二一〇円減額され、それに伴い年間給与が一万四五二〇円減額されたことは当事者間に争いがない。そして、(証拠略)によれば、前記入院により、原告の昭和四八年の年末一時金が七万八九〇円減額されたこと、昭和四九年四月から昭和五〇年三月までの原告の基本給が前記のとおり月額一二一〇円減額され、それに伴い昭和四九年の夏期一時金が三五六〇円、年末一時金が三九二〇円、退職金が一二一〇円それぞれ減額されたことが認められる。そうすると、右減額による損害は九万四一〇〇円となる。

(2) (人証略)及び弁論の全趣旨によると、原告は前記入院期間中私傷病あつかいされ、健康保険より傷病手当として給与の六割が支給され、また被告の共済制度により休業期間の基準内賃金から右傷病手当を差し引いた残りの四割が支給されたが、右賃金には残業手当が含まれていないことが認められる。右残業手当分が損害となると解されるところ、(証拠略)によれば、前記入院前三か月間における原告の残業時間は、二月が五一時間、三月が四三時間、四月が三七時間であって一か月平均約四四時間の残業をしていたこと、昭和四八年五月当時の原告の基本給は九万二六五〇円であったこと、残業については一・二五パーセントの割増があったことが認められる。そこで、前記入院期間中に得たであろう残業手当分を求めると、次のとおり、六万七七八〇円となる。

<省略>

(三)  昭和五〇年三月二〇日定年退職してから症状固定となる昭和五三年四月一五日までの休業損害

成立に争いのない(証拠略)によれば、定年退職後症状固定となる昭和五三年四月一五日まで、原告が労災保険から支給を受けていた休業補償給付及び休業特別支給金の基準となる給付基礎日額は四一一四円であったことが認められる。そして右休業補償給付の額が一日につき給付基礎日額の六〇パーセントであり、また休業特別支給金の額が一日につき給付基礎日額の二〇パーセントであることは、労働者災害補償保険法一四条及び労働者災害補償保険特別支給金支給規則三条一項の各規定に徴し明らかである。

ところで、原告は前記期間中の休業損害として、右給付基礎日額に基づき労災保険から支給を受けていない残りの二〇パーセント分を求めている。しかし、(証拠略)によれば、昭和五〇年三月以降昭和五四年三月まで原告を含む被告に勤務していた定年退職者一七名のうち、昭和五四年五月当時再就職しているのは四名であって、それらの者の月収額についてみると、被告に再就職した一名を除く他の三名はいずれも退職時の月収額の約六割しか収入を得ていないこと、そして被告に再就職した者も特殊の技能と知識を有していることから退職時の月収額を下回っていないことが認められる。

右認定事実に、一般的に定年退職後の再就職は困難であるうえ、その収入も相当程度減少することなどを合わせ考慮すると、原告が定年退職後に得る収入は定年前の収入額の六〇パーセントを上回らないと認めるのが相当である。原告が右の額以上の収入を得ることを認めるに足りる証拠はない。従って、定年退職後の休業損害につき、労災保険による給付基礎日額を基準とする原告の主張は採用できない。そうすると、原告は、前記のとおり定年退職後症状固定となる昭和五三年四月一五日まで労災保険より休業補償給付及び休業特別支給金として一日につき給付基礎日額(それが原告の退職時の収入を基準としていることは労働基準法一二条一項に徴し明らかである)の八〇パーセントに相当する額をすでに受領しているのであるから、右期間中の休業損害はないというべきである。

2  後遺症による逸失利益

原告の症状が昭和五三年四月一五日固定したことは前記のとおりであり、(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、原告は右症状固定当時六〇才であって満六七才までの七年間就労可能であり、また右固定時後の原告の本件疾病による後遺症の程度は、労働者災害補償保険法二二条の三第三項の別表第二の障害等級一四級に該当し、右障害等級一四級は、昭和三五年一一月二日付の労働基準監督局長通達の別表に定める労働能力喪失率一〇〇分の五に該当することが認められる。

ところで、原告は、右後遺症による逸失利益の算定について、昭和五二年四月一日から一五二パーセントのスライド率が適用された前記労災保険の給付基礎日額六二五三円を原告の収入額の基準としているところ、仮に原告の収入額について、原告主張のとおりのスライド率にみあう昇給がなされたとしても、前記のとおり定年退職後の原告の収入額は定年前の収入額の六〇パーセントとみるべきであるから、収入日額は三七五一円(円以下切捨)となる。そこで、就労可能年数七年のホフマン係数により前記後遺症による逸失利益を求めると、次のとおり四〇万二一〇九円(円以下切捨)となる。

3,751円×365日×5/100×5.874≒402,109円

そして、原告が、右後遺症につき、労災保険より障害補償一時金及び障害特別支給金として合計四八万九〇五五円を受領していることは、その自認するところである。そうすると、原告には後遺症による逸失利益は認められないというべきである。

3  慰謝料

前記認定の原告の症状、右症状に至る経緯、その他本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、原告の被った精神的苦痛に対する慰謝料額は一五〇万円と認めるのが相当である。

4  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告は本件訴訟の提起追行を弁護士である原告訴訟代理人両名に委任し、その手数料として一〇万円を支払い、報酬として、認容額の一割に相当する金員の支払を約したことが認められるが、本件事案の内容、審理経過、認容額等諸般の事情に照らし、原告が被告に対し本件債務不履行に基づく損害として賠償を求めることができる弁護士費用の額は二〇万円をもって相当とする。

八  結論

以上の次第であるから、原告の被告に対する本訴請求は、金一九〇万九九五八円及びこのうち弁護士費用二〇万円を除く金一七〇万九九五八円に対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であることが記録上明らかな昭和五二年八月一一日から、弁護士費用金二〇万円に対するこの判決確定の日から各支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鈴木経夫 裁判官 仙波英躬 裁判官山崎勉は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 鈴木経夫)

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